「黒伏山」と「仲直し山」と「水晶山」の昔話

滝口国也著『北村山地方の民話』より

むかし、むかしのこと、入の奥の方に「黒伏山」が生まれました。猪野沢の奥の方には、「水晶山」が生まれました。「黒伏山」と「水晶山」の真ん中に「仲直し山」が生まれました。
この3つの山はだんだん大きく成長し大変仲の良い友達となったのです。毎日行ったり来たり、お互いに助け合って暮らしているうちに、すっかり大人の山になったのです。

3つの山のうち、「水晶山」は身長が一番低かったが色白い美男子で、動作が大変機敏で、何でも仕事は早く気のききすぎる所もありました。「仲直し山」は色白ではなかったが、「水晶山」よりは一段と身長が高く、均整のとれた立派な体格で、気が優しく、考え深く落ち着いておりました。「黒伏山」は一番背が高く、体格は堂々たるものです。顔色は黒く、お人よしですが、力のあることを自慢していました。

ある時のことです。仲の良い「水晶山」と「黒伏山」はささいなことから口論となってしまいました。それが原因で、互いに譲らず、遂に戦争をすることになってしまったのです。

「黒伏山」は早速黒い石を割って、弓矢の先につけたものを小山のように用意します。一方「水晶山」は黒伏山などに負けてたまるものかと、透明に光る水晶を割って弓矢の先につけたものを小山のように用意し、互いに多くの軍勢を率いて堂々たる出陣です。互いの大軍勢は乱川をはさんで南と北に布陣し、迎え打とうと頑張りました。戦いはすさまじい激戦になってしまい、白と黒と弓矢は蜂の群れが飛ぶごとく乱れ飛びます。しかし勝負はつかず、ついに長期戦に入ってしまいました。両軍共に多大の死傷者を出し、莫大な損失が募るばかりです。

この長い戦いになったのを始めから、じっと見守っておったのが「仲直し山」です。馬鹿げたことをしているものだと、思案のすえに、家来を二人選んで両山に出向かせ、互いにこのへんで和睦をしては、と再三忠告をしました。
ところが、両山ともこれを聞き入れる様子もなく、勝負のつくまで絶対やめないと言って、ますます戦いは激しさを増す一方です。

「仲直し山」はそれでは仕方がない、最後の手段に出るほかはないと決心して、自ら立ちあがって、両山の間に割って入り、大きな右腕で黒伏山を、左の腕で水晶山を、ぎっしりと押さえて両山をもとの位置まで押しやって、どちらも動けないようにしてくれました。

それで戦いの終わった現在でも、黒伏山の頭と水晶山の頭が向き合って、にらめっこしているような山の形になっているのです。その後、黒伏山は燃えてしまい、グーッと高くなったが一度黒かったのがますます真黒に変身してしまったという。

大昔、黒伏山と水晶山が戦った場所を流れていた川を乱川と呼び、この戦いを高いところから面白そうに眺めておった山を「面白山」と呼ぶようになってしまったのです。

直前のページへ戻る

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM